2019年6月17日月曜日
「対決日本史シリーズ① 関ケ原の戦い」発売のお知らせ
学研プラス様より「対決日本史シリーズ① 関ケ原の戦い」が発売になります。
マンガページ125ページで、秀吉の死後、関ケ原に至るまでの経過と、
合戦を描いています。
今回も原作から担当いたしました。
誰か一人の視点で描くのではなく、
徳川家康と石田三成の動きを中心に描きながら、
西軍、東軍それぞれの武将の動きをリアルタイム形式で追っていく形に
なっています。
今回は特に、家康と毛利元就の思考の経過を注意しながら調べて描きました。
関ケ原の戦いは長らく議論され続けていますが、そこに至るまで、
家康には「なぜそうしたか?」の行動がいくつかあります。
特に大きいのは、石田三成の挙兵から1か月近くも江戸を離れず
西上しなかった理由です。
通説としては、
「江戸から全国の大名に大量の手紙を書いて、自分への味方を要請していた」
というものですが、当時の大名は自ら筆を取って手紙を書くことは少なく、
祐筆に書かせたものに花押を書くだけなら、別に江戸に留まる理由には
ならない、といった反論があります。
よって、もっと切実な江戸を離れられない理由があったのではないか、
という疑問が残ります。
今回は、そうした家康の思考に対して、現在までの研究を照らし合わせながら、
妥当と思われる構成にしました。
また、もう一人、毛利輝元についてですが、こちらはもっと複雑で、
西軍の総大将でありながら、結局最後まで自ら関ケ原に出馬することは
ありませんでした。
また、毛利軍も戦わずして合戦を終えてしまい、
「なぜ戦わなかったのか?」
という疑問が長らく議論されています。
なぜなら、関ケ原でもし毛利軍が出陣していたら、
この戦いは西軍の勝利の可能性が高かったからです。
主な理由としては、毛利一族の吉川広家が家康に寝返っていたから
というものですが、彼一人の裏切りで、毛利軍全軍を留められるとは
考えられないという反論があります。
関ケ原の戦いについては、長く、勝利した東軍の資料に偏っていましたが、
近年では負けた西軍側の研究もかなり進んでいます。
特に、石田三成や毛利輝元などの一次資料の研究が目覚ましいので、
今回はそうした資料も大いに参考にしました。
その上で、毛利軍の疑問に答えつつストーリーにしましたが、大きく外れては
いないように思います。
今回のストーリー以外の説については、各ページに設けられている「豆知識」や、
マンガページの後の解説ページなどに説明されていますので、
その点もきちんと学習できます。
書店では今月21日から購入できます。
よろしくお願います。