2012年10月21日日曜日
単行本発売のお知らせ
11月16日に、学研さんから「NEW日本の歴史」全12巻が発売になります。
私は「第五巻:室町幕府と立ち上がる民衆」を描かせていただきました。
このシリーズは30年ぶりのリニューアルだそうです。
一応対象年齢は小学校高学年からになっていますが、キャラクターとストーリーを重視した物語になっていますので、大人の方で歴史が苦手な方でも読みやすくなっていると思います。
全ページフルカラーです。
現在、大型書店に、各巻の一部をずつを一冊まとめたサンプル本とチラシ、ポスターが配布されていますので、お出かけの方は見ていただければと思います。
よろしくお願いします。
というわけで、以下は歴史好きのあとがきみたいなものになりますので、興味ない方はスルーで結構です(^^;)
私が担当した室町時代の内容は、四章仕立てになっておりまして、簡単に説明しますと、
一章:足利尊氏 二章:足利義満 三章:応仁の乱 四章:民衆と文化 といった構成です。
時代区分でいうと中世にあたるんですね。私は中世の知識は基礎講義レベルで、あとは東大寺文書を読んだなぁくらいの記憶しかないので、ネーム作るにあたってメインラインを勉強しなおしました。(東大寺文書は中世研究の古文書ではよく出てくるんです)
歴史を勉強していた人には常識なのですが、第一章の主人公になる足利尊氏は、戦前までは「天皇に逆らった逆賊」扱いをされていたので、研究がタブーな領域だったんですよね。本格的な近代研究が始まったのは戦後なのです。足利尊氏といえば、NHK大河の「太平記」を記憶されている方もいると思いますが、戦後大分経ったあの頃であっても、NHKが足利尊氏を主人公にするというのは結構な挑戦だったそうです。
そういうわけで、足利尊氏研究は現在でも新しい発見がされる活気のある分野でもあるんですね。私はできれば新しい尊氏の発見を積極的に取り入れていきたいと思ったので、私が見つけた最近の研究の中で、特に信頼性の高い事実は人物設定に取り入れていきました。ちょっと今まで違う尊氏像を作れたかなと思っています。
尊氏と対立する重要人物が後醍醐天皇ですが、この天皇もとてもキャラ的に魅力のある人でした。中世研究で有名なあの網野氏は後醍醐天皇を「異形の天皇」と呼んでいましたが、さすがな表現だと思いました。「太平記」の中の天皇が脚色されているとはいえ、かなり革新的な人だったと思います。よく言えば能力主義で、身分が低くても使えれば使うんです。あの楠木正成なんて、一説には鎌倉幕府の北条得宗家の被官人(簡単に言えば家来みたいなもの)だという話もあるのに、後醍醐天皇側として活躍しますよね。後醍醐天皇は位の高い有力な公家の後ろ盾がそもそも無かったので、身分の低い公家に協力を求めるしかなかったという背景もあるようなんですが、それでも当時の感覚としては、かなりの型破りですよね。
第一章は「太平記」など面白く語られている既存のものがあるので、ストーリーやキャラクターは一番楽しめる章になっていると思います。
第二章の足利義満は、まぁ金閣寺作った人で有名ですよね。もう少し詳しいと、気に入らない大名を倒して、南北朝を統一して、日明貿易で利益を上げて金閣寺を作った、という感じでしょうか。あんまり良いイメージの無い人ですよね。でも、私はなるべく既存のイメージに頼らず、わかっている事実から客観的に創造できる人物像を作っていきました。
足利義満は室町幕府の中では、一番安定した時代を築き上げた人物でもあるんです。後世の将軍がみな義満時代を目標に幕政を立て直そうとしたくらいですから。でも義満が将軍になった時代はまだ朝廷も二つに分かれているし、大名も敵になったり味方になったりとまったく安定していなかったんです。義満が「大名を倒した」と一言で言ってしまうと、「お家取潰し」みたいなイメージになりますが、それは江戸幕府のイメージで、室町幕府にはそこまでの力は無かったんです。「倒す」というより「力をそぐ」程度のことしかできないんです。(実際にこの頃領地を分割された山名氏なんかは、応仁の乱の頃には再び有力大名に返り咲いていますから)江戸幕府にはどの大名よりも経済力があって、旗本や御家人といった直属の兵隊もいますから家ごと取潰しという「権力」が振るえるんですが、室町幕府は、経済力・軍事力は有力大名頼みなので、大名が協力して反抗したりすると太刀打ちできなくなってしまうんです。だから義満ができたのは、大名が力を持ちすぎたら少し削ぐように諮って、力のバランスを取るといったことなんですよね。そうやって幕府内を安定させるしか方法はなかったんです。だから、義満は朝廷に自分の公家の位をどんどん上昇させて、権威を上げて、一方では日明貿易で外貨を得て、大名に頼らない経済力を持とうとしたんだと思います。国家安定のためには間違っていない方法だと思いますよね。金閣寺も、ちょっと派手すぎない?って思うかもしれませんが、「将軍すごいだろ!」というのを示す方法としては理にかなったものだったと思います。単なる趣味だったという可能性もありますが・・(^^;)
室町幕府の構造的な弱点は、後世になっても変わらなかったので、この後起きた、応仁の乱が長引いた原因の一つにはその点もあると思いますね。。。。
・・・・なんか思いつくまま書いていたら本当にとめどなくなってしまった。。
まだ三章の応仁の乱のこととか、四章で出てくる一休や珠光や雪舟のこととか、あと有職故実にのっとった衣装の色柄のこととかも色々あるのですが、誰も読んでくれなくなりそうなので、クレームがなければ後日書きます。
とりあえず、単行本よろしくお願いします~(^^:)